ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

言葉にしかできないこと、言葉にはできないこと――映画『羊と鋼の森』

音を言葉にするのは難しい。
明るい音、澄んだ音、晴れやかな音、暗い音、悲しい音、せつない音…どれも視覚や他の感覚についての表現に転用できる。「くぐもった声」とかは、音についての言語表現だろうか。
視覚は、たとえ本当は見え方が違っているのだとしても、見る対象を目の前にして、「今、目の前のこれを、確かに見ている」と共有することができる。でも、音はどうだろう。空気の振動として、確かに耳に届いていると言えるけど、もし音を発している対象が目の前になかった場合、「ほら、あれ、聞こえるでしょ」と指さすことはできない。

だから、音を言葉で表すこと、音楽を小説など、言語で表現することはとても難しいのではないかと思う。
まどみちお作の「おんがく」は、音楽を音以外で楽しむという仮定をすごくうまく表現していると思う。


おんがく:木下牧子 "MUSIC" (for mixed voices) : KINOSHITA Makiko

(詩のことを言っているのだけど、合唱曲で)

 

宮下奈都『羊と鋼の森』を読んだ時、期待通り、その世界観や空気が文章で立ち現れた。宮下奈都さんの小説は、やさしい空気感と、登場人物のひたむきさが好きで、『羊と鋼の森』以前にもいくつか読んだことがあった。
羊と鋼の森』もそれを裏切らなくて、映像が浮かんでくるような小説で、音楽が題材かどうか、ということよりも、それまでと同様の空気感がよかった。音楽という点でいえば、『よろこびの歌』もあったわけで。
だから、音楽を小説化したという点では(言語で立ち現せるという意味では)、その後に出た恩田陸蜜蜂と遠雷』の方が衝撃的だった。もちろん、比較するものではないとは思っているのだけど。

映画は、映像と音でできている。音楽を言葉にするより、ずっと音楽を扱いやすい。
だけど、写真の方が写実的だからといって、それがあるものを表現するのに絵画より優れいているとは限らないのと同じで、音楽を扱った物語を、映画にすることは、ともすればありきたりのものになりかねない。
その点、映画『羊と鋼の森』はすごかった。とても、よかった。


『羊と鋼の森』予告編

小説を読んだのが3年くらい前のことだし、読み返してもいないので、細かい部分の記憶はすでにあいまいになっている。
だけど、映画を見ると、不思議と小説を読んでみた情景が思い出されて、それが上塗りされていった。

もちろん、わたしの中で、主人公の外村はもっと冴えないイメージだったし、双子の姉妹はもっとからからっとしていた。でも、そういう細かなイメージは一切関係なくて、全体の雰囲気として、思い描いたものを崩さないまま、さらにわたしのイメージ力では欠けていた色々なものを、気前よく、どんどん付け足していってくれた。
たとえば、小説には、音はないし、映像もないわけだけれど、音は雰囲気としてはそこにあったし、映像も頭の中で広がっていた。でも、わたしには、雰囲気として存在する音を聞くことはできなかった。
一方、映画には音も映像もある。小説の言葉を、そのまま人物にしゃべらせることもわけないことだ。けれど、映画の中の人物は、小説の中の人物と同じ程度にしかしゃべらない。心情を、わかりやすく口にしたりなんかしない。
いくらでもわかりやすく言葉にし、映像で見せてしまうこともできるのに、それをわかる形でしてしまわないところが、小説以上に、小説とは違った形でイメージを喚起させるのだと思う。
差しはさまれる雪の結晶やススキ、木の葉のような自然の情景、セリフはなく、ずいぶん長い時間、音楽と映像だけで、言葉なしに回想されるシーンもある。
小説では、心情も情景も言葉で描き出されるけれど、映画では言葉ではなく、音と映像でそれが表現される。
たとえば、うろ覚えだけど、山で育ち、音楽の「素養」のようなものはまるでない主人公(調律師)は、そのことに引け目を感じていたのだけど、自分が育った山の中にも音楽があったのだと気づくような場面が小説にあった気がする。映画ではそれはわかりやすく言語化されていないのだけど、そういったことがうまく、映画全体を包んでいたように思う。

同じ物語なのに、一方は言葉でできる限りの世界を生み出していて、他方は言葉と音と映像、すべてを使えることに甘んじず、あえてすべてを使いつくさず、でも、小説ではできなかったこと、読者一人一人の中でなされていたであろうことを映像化している。
音楽を題材としているのに、とても静かで、映像の美しさも、物語と登場人物ののやさしさ、強さ、ひたむきさを堪能できた。

小説、映画、どちらもが原作と言えるような、両方が双方を補い合うような素敵な映画化だった。
また観たいと思う。とてもすてきな時間だった。