論文まとめ 1:恋愛感情と性的欲求の関係とは?(前編)
気になった論文の内容をまとめる、というのをやってみようと思います。
aロマ・aセクの存在を知ってから、それについてとことん構造を知りたくなりました。自分のための備忘録のようなものですが、それでも、おもしろいな、楽しいなと思う方と共有できるのであれば、それはすごくうれしいことです。
今、気になっている要素は2つ。
・恋愛感情
・性的欲求
aロマ・aセクなのでは?と思っているので、まぁ、そうなるでしょう。
これらがどう関係しているのか。別個のものなのか、はたまた相互に関係し合うものなのか。作用関係があるとすれば、どういった風なのか。そういったことが、どのように論じられてきたのか――
Google Scholarで軽く検索しただけで、気になるものがいくつもでてきたので、とりあえず片っ端から読んで、まとめてみることにしました。
まとめる論文は、主にネット上で無料で手に入る日本語・英語論文で、わたしが考えたいことを考えるための材料になるもの、という基準で選ぶことにします。
専門家でもないし、語学も得意ではないので(勘で読み進めるタイプ、正確性に欠ける)、読み違いや専門用語の定着した邦訳を知らない、など多々あるかと思います。先行研究や流れを網羅しているわけではないので、あるテーマに対して適切な論文を選べているということはまずないです。論文の信憑性とかインパクト・ファクターとか諸々差し置いて、おもしろそうだなと思ったものをまとめただけのものですので、その点ご了承ください。
誤訳、ご解釈などのご指摘は大変ありがたいです。
お気軽にご連絡ください。(kirin11mail★gmail.com ★=アットマーク)
第1回目(続くか不明)は、
リサ・M・ダイヤモンド(Lisa M. Diamond)
『性的指向は何を指向するのか?ロマンティック・ラブと性的欲求を区別する生物行動モデル(What Does Sexual Orientation Orient? A Biobehavioral Model Distinguishing Romantic Love and Sexual Desire)』, Psychological Review, 110(1), pp. 173-192, 2003.【こちらのページから、PDFダウンロード可】
を取り上げます。15年前のものと少し古いですが、その後も継続して研究がなされているようですし、本文中の「今後の課題」みたいなものも、他の研究者の間で研究が進められているようです。最新のものからあたればよかったかも、と後から気づきました。
なお、 文中の※印は、当ブログ管理人による注解です。
今回は、概要と提示されている仮説の紹介を、次回以降、仮説の検証をまとめ、最後に自分なりの考えを整理できればと思っています。
では、はじめましょう。
概要
この論文では、性的欲求と情緒的絆(affectional bonding)がそれぞれ機能的に独立したものとして検討されます。たとえば、ヘテロセクシャル(いわゆる「ストレート」)の人は異性に恋をして、ホモセクシャルの人は同性に恋するように思いますよね。でも、いつもそうであるとは限らないというのが筆者の考えです。
同性愛でも、同性への性的欲求なし(※ノンセクシャルとは若干違うのかも。性的欲求が発端ではない恋愛感情という意味に近そう。)に、同性への恋愛感情が深められていたという様々な時代、文化の研究があります。それとは逆に、同性への恋愛感情はなく、同性への性的欲求のみ経験する人もいるようです。
ただ、それはどうしてなのか?というのに答えることは難しいようです。性的感情と情緒的感情(affectional feeling)の正確な関係についてはあまりわかっておらず(※少なくとも執筆当時、2003年)、それぞれが性的指向によってどのように左右されるかのかに答えることは、研究者たちにとっても難しいことなのです。これは、性的指向についての研究の多くが科学的研究の対象として、恋愛感情よりも性的欲求に注目する傾向にあったことに起因するのでしょう。
そこで、筆者は恋愛と性的欲求の生物行動モデルを構築しようと試みます。そのための仮説は、以下の3つです。
- 性的欲求と情緒的絆はそれぞれ独立したものなので、性的欲求なしに、恋愛感情を持ち得る
- 情緒的絆の根底にあるプロセスは、異性/同性パートナーに向けられているので、性的指向とは無関係に、どちらのジェンダーのパートナーにも恋に落ち得る
- 愛情と欲求の間の生物行動的つながりは、双方向的なものなので、恋に落ちた結果、たとえその性的欲求がその人の性的指向に反するものであるとしても、新しい性的欲求を持ち得る
本論文では、以上の3つの仮説について検証され、それを正当化する根拠が示されていきます。
なお、論文内で注目されるのは、生物行動的メカニズムですが、筆者は文化的な影響を軽視しているというわけではありません。
恋愛と性的欲求の生物行動モデル
まず、この論文で使われる用語の意味を整理しておきましょう。
性的欲求の定義:「性的対象を得ることや性的活動に従事することへの願望、必要、あるいは衝動」(Regan & Berscheid, 1995)のこと。
ロマンティック・ラブ、情緒的感情(affectional feelilngs)、情緒的絆(affectional bonding):一般に恋愛関係に結び付けられる心酔と情緒的献身を意味する。
ジェンダー:性的活動を意味するsexとの混同を避けて、男女のカテゴリーを指す場合に使われる。
※他にも恋愛、愛情に絡む用語を訳し分けるのは難しく、たとえば単なる「love」でも「恋愛」と訳すなど、わかりやすさを優先しました。
この論文の仮説が認められれば、性的指向と恋愛対象が一致しないということを考えることができるようになります。ですので、性的指向をどう捉えるか、ということも重要になってくるので、一応言及しておきましょう。
性的指向(異性、同性、あるいは両性)は、多くの人が持っているのもので、その傾向は比較的固定的なものと捉えられています。ですが、筆者はどちらかと言えば、性的指向は存在しないと考えます。代わりに、性的指向が「比較的安定している」と言い表します。
このような性的指向ですが、性的魅力と性的行動を決定する唯一の要因であるとは考えられていません。研究者たちは、人の性的反応は柔軟で、条件付け(※心理学用語か?)に従順であると考えてきました。したがって、人は時に自分の性的指向と反する性的欲求を抱くこともあり得るのです。
この前提が正しいなら、「性的指向が、ある人が誰に恋に落ちるのかを決定するのか」という疑問が生じますが、筆者はこれを否定的に捉えます。これを実証するために、本論文では3つの仮説が検証されます。今回はこれらの仮説を確認し、次回以降、仮説の論拠を辿っていくことにしましょう。
仮説1. 性的欲求とロマンティック・ラブは機能的に独立している
性的欲求とロマンティック・ラブ(※恋愛感情)は、一緒に経験されることが多いですが、それぞれが異なる社会行動システムによって規定されていて、目指すものも違います。
性的欲求は「性交」システムによって規定されていて、その目的は、生殖を目的とした性的結合です。これに対して、ロマンティック・ラブは二つの個体の間の恒久的な関係の維持を目的とした「愛着」や「つがいの絆」によって規定されています。
なぜこうなっているかというと、幼少期、両親のもとで育った方が生き残る可能性が高くなるからです。つまり、つがいの絆という社会行動システムは、交尾期を過ぎてもつがいのままでいさせる強固な感情的結び付きを築くことによって、子孫を生き延びさせるという目的を成し遂げさせるのです。
でも、人間の場合、すべての人が子を産み、育てるということを二人でやっているわけではないですよね。むしろ、繁殖(子をなすこと)とつがいの絆の根底にある基本的なプロセスは、機能的に独立していると考えられます。これは、比較的新しい哺乳類の順応(特に、人間)で、心の絆なしに繁殖することができます。さらに言えば、適切な条件下では、交尾するという動機(=性的欲求)なしにつがうことだってできます。
性的欲求は近くにいるとか、身体的接触を得たいという強い気持ちを起こさせるのでつがいの絆を促進しますが、それは必要条件ではなくて、むしろ、時間、連帯感、触れ合いの程度が高いことがロマンティック・ラブの進展を促進して、性的欲求の「代理」を務め得るのです。
この仮説から言えることは、以下の3点です。
- 性的欲求が欠如している場合でも、人はロマンティック・ラブ(恋愛感情)を経験し得るはずである
- 性的指向の対象でない個体に対して、恋愛感情を抱き得る
- これらの現象は、とても近くにいたり、継続的に身体的接触のある間柄に生じるはずである
仮説2. ロマンティック・ラブは、本来的に同性や異性のパートナーに向けられていない
2つ目の仮説は、恋愛が性的な指向性を持たないというものです。
性的欲求のゴールが、進化論的な繁殖であるとすれば、異性愛は理にかなっていて、同性愛や両性愛は通常の規範から逸脱していることになります。でも、恋愛対象の指向性を進化論的に説明できるかというと難しいです。
先程述べたように、恋愛感情のような強い情緒的な結び付きがあることで、雌雄が子が外敵に狙われやすい時期をうまく乗り切りやすくなります。ですが、心理学者、文化人類学者、動物行動学者、進化論的生物学者によれば、確かにつがうことに関連する強い感情は繁殖に有利ですが、繁殖活動の文脈で発達したわけではないと言います。繁殖後、両親そろって子を守るための強い情緒的結び付き云々以前に、人間には本来的に社会的結び付きのための社会行動システム、つまり「乳幼児保護者の愛着」が備わっているのです。
このシステムは、もともとは庇護されるべき乳幼児が、その保護者と離れずにいるように発達したものです。哺乳類は、「繁殖パートナーを離れずにいさせる」という進化論的な問題が生じるずっと前から、社会的なつながりのための社会行動システムを生まれながらに持っているのです。
ですが、自然選択*1は、既存のメカニズムが進化上の問題を解決するに足る場合、全く新しいものを新たに作ることはありません。ですので、保護者の愛着システムが、成人の繁殖パートナーの間の関係維持という新しい目的のために利用されていると考えられるのです
ロマンティック・ラブが成人バージョンの強力な情緒的つながりだという考え方は、80年代末に提唱されたものです。以来、この考え方は、成人の恋愛関係についての研究の基礎をなす、有力な理論的観点となっています。恋愛の根底にあるメカニズムが、保護者の愛着から発展したのであれば、情緒的な指向は(それがあるとすれば)繁殖よりも、保護者の愛着の文脈から発展していたはずです。
多くの乳幼児保護者が女性であることからすると、保護者の愛着は完全にはジェンダー的に中立ではないかもしれませんが、乳幼児が選択的に異性、同性どちらかの保護者になつくことはありません。
このようなことから考えると、どのジェンダーに恋をするかが安定しているようでも、そのような傾向には本質的な原理はないということになります。乳幼児が、誰になつくかをジェンダーによって区別しているわけではないなら、同じシステムから派生した恋愛関係の情緒的つながりについても、同じことが言えるはずだからです。
むしろ、私たちは実際の、あるいは潜在的なセクシャル・パートナーとの情緒的絆を促進するような状況的条件に遭遇しているだけなのでしょう。状況的条件が適切であれば、人はどちらのジェンダーのパートナーとも恋に落ち得るはずなのです。
仮説3. 恋愛と性的欲求のつながりは双方向的である
恋愛感情と性的欲求が機能的に独立したものであるとしても、多くの人が両者の強力な相互的つながりを経験しています。発達心理学者によれば、これらのつながりは思春期に形成されるそうです。性的に成熟していことで、潜在的な生殖のパートナーとつながりを持ちたくなるからです。
このような条件付けは、恋愛と性的欲求のつながりを助長します。思春期にだんだんと増えてくる親密な異性とのふれあいは、生じたばかりの性的欲求と合わさって、情緒的感情を経験する機会を度々与えるからです。これには、どのような感情や振る舞いがどのような人に対して適切かということを知らせる文化的規範の影響もあるはずです。
さらに、これらの相互的つながりには、神経生物学的な要因も考えられます。オキシトシンは日本でも「愛情ホルモン」などという名前で知られていますが、この神経ペプチドホルモンが情緒的絆に影響を与えているのです。このホルモンは、性的関心や性的行為を高めるものとしても機能します。
性的欲求が心酔的な愛着(※恋愛)へと向かわせるのだというのが暗黙の了解となっていますが、著者は両者の関係が、性的欲求から恋愛感情への一方向的なものではないと考えます。性的欲求が恋愛感情を生むことがあるように、恋愛感情から性的欲求が生じることもあるのです。
この仮説に従えば、恋をすることで性的欲求を持つこともあるはずですし、その欲求が性的指向に反することもあるでしょう。このような恋愛対象と性的対象の「横断的指向」は情緒的絆から生じるもので、それはある特定の関係にのみ適用できるものなので、関係性が変われば(パートナーが違えば)また違った結果になるかもしれません。ですので、一般化はできない可能性はあります。
さらに、この仮説に従えば、ジェンダーによる違いが出てくる可能性があります。女性は男性よりも、性的欲求が恋愛感情から派生する可能性が高いはずだ、というものです。これには、
- 歴史的に、女性は性的欲求と性行為を、夫婦などの親密な感情の関係に制限されてきたこと
- 女性が持つ恋愛と性的欲求の間の相互関連が、神経生物学的に大きいこと
といった理由が考えられます。つまり、恋愛と性的欲求の間の文化的、心理的、神経生物的つながりが、男性よりも女性で強固だからという理由です。
実際、動物の研究で、愛着と性行為へのオキシトシンの影響はエストロゲンに左右され、ジェンダー特有のものであることがわかっています。恋愛と欲求の間の双方向性がそのような文化的、心理的、神経生物学的プロセスに基づくものであるなら、女性は男性よりも、恋愛に基づく性的欲求を基本とした横断指向がある可能性が高いはず、と言えます。
以上が、論文で取り上げられ、検証される3つの仮説の内容です。
ついつい、書かれていることを事細かにあげていきたくなりますが、その役目は論文自体が果たしているので、極力省きました。
仮説の一つ一つは、色々なものを分類していっているように見えるかもしれませんが、そうすることで、色々なものの関連性がわかってきて、わたしが漠然とわからないと思っていたものが、どのようにグラデーションになっているのか、ならないのかを整理できた気がします。
また、視点的には同性愛について論じることが念頭にあるのでしょうか。これも、わたしが考えたいことを考える上では、うまく作用している気がします。
まとめるのは、読むよりずっと時間がかかる(けれど、頭の中が整理されていい)ので、仮説の検証部分は、また別にまとめていきたいと思います。
続きはこちら(※2018/7/14追記)