ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

ミニひまわりに想うこと

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ミニひまわりが咲いている。
梅雨入り前日に植え付けて、梅雨明け前日から咲き始めた。雨の期間が、花を咲かせるための準備期間だったみたいでおもしろい。どんな植物も周囲に比べてワンテンポ遅れて育つ我が家の環境からすれば、上出来すぎる出来。
梅雨明けと同時にとんでもなく暑くなったし、ひまわりも咲いて一気に夏が来た!という感じになった。豪雨の時に花弁部分が出ていなくて本当によかったと思う。

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大雨の後の、折りたたまれたようなひまわり



咲くとすごくきれいな色で、まっすぐで、凛としている。

 

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朝からぎらぎらしている太陽に真正面から挑んでいるようで、頼もしくもある。

 

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夏の朝の強い光が、本当によく似合う。
光が葉を透過して、天使の羽みたいになっているのが、たまらなくかわいい。


何を隠そう、このひまわりの種はダイソーのもの。6粒入っていて、全て発芽した。植え付けたのは5株だけど、植え付けなかったものの捨てられずにいた株も、育苗ポットの中で開花しようとしている。植え付けたのが草丈1メートルくらいなのに対して、8センチくらいで。本当に咲くのかな。

 

ミニひまわりは別品種を1度、大きなものは食用のひまわりを1度育てたことがある。
育ててみてわかったのだけど、ひまわりがひまわりらしくきれいに咲いているのは、ほんのわずかな期間でしかない。おおよそ1週間くらいだろうか。そこをピークに、中央部分(種ができるところ)が盛り上がり、花弁はちぢれ、頭を垂れていく。
ひまわり=夏の花(夏中、ずっと元気よく咲いている)というイメージなのだけど、実はとても儚い花だったのだ。
暑い中、ぐんと伸びて、一気に、思い切り、きれいに咲く。

 

 

話は少しそれるが、時々読み返す本の一つに『菜根譚』がある。中国明代末期に洪自誠という人が、人生の哲学のようなことを語録の形で記したものだ。

 

菜根譚 (岩波文庫)

菜根譚 (岩波文庫)

 

気に入った言葉に付箋を貼りながら読んだ本で、今でも時々ぱらぱらと目を通す。一番気に入っていて、今も時々思い出すのが、

伏すこと久しきものは、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なるものは、謝すること独り早し。此れを知らば、以て蹭蹬の憂いを免るべく、以て躁急の念を消すべし。(菜根譚後集、77)

「永く臥せっていた鳥は、飛ぶ時が来たら必ず高く飛び、先に咲いた花は、他よりも早く散ってしまう。このことを知っていたなら、(無理して)よろめく心配を免れることができ、早くと焦る気持ちを消すことができるだろう」(拙訳)

という言葉。これを知った当時、まわりは「若さ」で一番きらきらし、可能性に満ちているのに、わたしは難治性の病気になって起き上がるのもままならなかった。気持ちだけは元気で、どうしたものかと色々な本にヒントを探した。
まわりの人たちはどんどん飛び立っていくのに、やりたいこともたくさんあるのに、何もできない。そんな時にこの言葉と出会って、悔しくてたまらないけど、わたしはここぞという時まで力を蓄えて、なんなら150歳くらいまで生きて、今じゃなくてもきっといつかきらきら輝くぞ、と思った。

おかげさまで、今はほとんど普通に過ごしている。
でもいつからか、「いつかきっと」が「細々と永く小さな花を咲かせる」にすり替わっていたような気もする。別に、高く飛ばなくても、きれいに咲かなくても、それはそれでいいじゃない、と。
だけど毎朝ひまわりを見る中で、そういうことではないのかもしれないと思った。ほんの一瞬のピークを惜しむことは、細々ときれいに咲いていてほしいということと同義ではない気がした。
力をためて、ためて、ほんのわずかな期間、ぱっと美しく咲くからこそ、とてもきれいで心動かされる。すぐに消えてしまうものだから、惹きつけられ、その一部始終を目で追ってしまう。何より、咲いている期間に比べるととてつもない永い準備時間が、その花の特別感を増してくれる。

そしてたぶん、一番きれいな一瞬だけに心動かされているわけじゃない。
芽が出て、次第に大きくなって、大きなつぼみを抱えてさらに大きくなって、つぼみが開くのを今か今かと待ち構える。咲いた後も、その花がどれだけ続くのか気にしながら、きれいな花を少しでも長く咲かせていよう、目に焼き付けようと、これまで以上に花を見守る。そうやって育ててきたものだから、花が終わりだしたってかわいく思うのだろう。
わたしが件の言葉に惹かれたのだって、遅れようと飛ぶ・咲くことができるはずだと思うことが希望になったからだ。
長い間苦境に置かれて、一瞬だけ高く飛んだり、きれいに咲いたりすることに意味があるのかと思うかもしれない。そんなにがんばって飛ばなくたって、咲かなくたっていい、苦境を超えただけで充分なんじゃない?と。たぶん、それでも飛ぶこと、咲くことに意味はある。たとえ実現しなくても、それを希望として持っていることが力になることがあるし、もし実現したのなら、それが次につながっていく可能性があるからだ。たとえば、ミニひまわりはほとんど種をつけないようだけど、咲き終わった後のたくさんの種が来年咲く花になるかもしれないし、おいしい食べ物にだってなるだろう。

正直に、まっすぐに。その時が来るまでは地味に、ひたむきに。
夏の花は意外にも儚くて、色々なことを思う。
来年は、色々な種類のひまわりを時間差で咲かせてみたい。

 

***

ひまわりを題材にした曲ってどんなものがあるのかなと検索してみた。「ひまわりの約束」くらいしか知らなかったけど、色々あって、色々ある中でイメージ通りだなと思ったもの。


Mr.Children「himawari」Music Video

 映画版「君の膵臓が食べたい」の主題歌だとか。映画は見てないけど、あの話も、ヒロインの女の子が確かにひまわりなのかも。
ひまわりってそのまっすぐさと儚さが、きらきらしてる誰かがいつかいなくなってしまうというイメージにつながるのかもしれない。