恋愛とは非常に恥ずかしいものだ、と太宰は言った
太宰が、なかなかすごいことを言っていた。
本当は「太宰治」というペンネームの人が現代にいて、いろいろと書き散らしているのではないかと思った。
それくらい、語り口調も内容も今っぽかった。
ちなみに、わたしは太宰治を太宰と呼んでいいほど、太宰治のことを知っている人ではない*1。検索していたら、なぜか太宰治の『さよならを言うまえに』という本の「チャンス」という部分が出てきたので、ついつい読んでしまっただけの、通りすがりくらいの知識しかない。
読んでみたいなと思い探してみたら、なんと「チャンス」は青空文庫で読めてしまう(下記リンクから読めます)。いい時代。
なんせあの太宰治なのだから、結構有名な話なのかもしれないけれど、わたしにとっては「あの太宰(=有名、くらいの意味)が、こんなことを(おもしろおかしく書いている)!」な文章だった。実は、太宰治ってネット上の文章を読む感覚で読んでいい人だったのかも。
まずは、この個所を読んでみてほしい。太宰自身が辞書編纂者だったとして、「恋愛」をどう定義するか、という部分。
「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性慾衝動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊なる性的煩悶。色慾の Warming-up とでも称すべきか。」
何わけのわからないことを言っているんだ、と思った方はそっとページを閉じて、今のままの「恋愛」観でいてよろしいかと思う。
少しでも「んん?」と思われた方は、「チャンス」をおもしろおかしく読めるかも。ネットニュースくらいの分量で、短いから読んでみてほしい。1対複数の恋愛を視野に入れているところなんか、「太宰、最近の人?」と思ってしまう。
「チャンス」でどんなことを言っているかというと、ざっとこんな感じ。
- 恋愛は「もののはずみ」(チャンス)で始まるのではなくて、意思で開始されるもの。(太宰いわく、「両方が虎視眈々」)
- 恋愛とか性愛とか、何にでも「愛」という字をくっつけて、高尚ぶってるし、「上品めかして言いつくろっている感じがする」。
- もっと言えば、「卑猥感を隠蔽せんとたくらんでいるのではなかろうかとさえ思われる」。
- 恋愛とは、「非常に恥かしいものである」。
- チャンスがいくら重なっても、その意思がなければ恋愛は成立しない。
こうして書きだすと何もおもしろおかしくないのだけど、書き方がいいのだ。
せっかくなので、少し紹介しておこう。
恋と言ってもよさそうなのに、恋愛、という新語を発明し、恋愛至上主義なんてのを大学の講壇で叫んで、時の文化的なる若い男女の共鳴を得たりしたようであったが、恋愛至上というから何となく高尚みたいに聞えるので、これを在来の日本語で、色慾至上主義と言ったら、どうであろうか。交合至上主義と言っても、意味は同じである。そんなに何も私を、にらむ事は無いじゃないか。恋愛女史よ。
恋愛はいいものだ!みたいなのは、このあたりの時代からなのか。太宰が1909年生まれで1948年没らしいので、その間のどこか。つまり、わりと最近。
そうだよね、よくぞ言ってくれた、なんて思う。
「愛」をくっつけるのを嫌がるのは、太宰が「愛する」ということは並々ならぬものだと考えていたからだ。「愛する」なんてそう簡単にできるものではないから、「愛」ではないものをごちゃまぜにしてほしくなかったのだと思う。そうだよね、わかる。
「愛する」という言葉を、気軽に使うのは、イヤミでしかない。キザである。
「きれいなお月さまだわねえ。」なんて言って手を握り合い、夜の公園などを散歩している若い男女は、何もあれは「愛し」合っているのではない。胸中にあるものは、ただ「一体になろうとする特殊な性的煩悶 」だけである。
あぁ、今も似たようなことがたくさんあるなと思うのがこちら。
「もののはずみ」とか「ひょんな事」とかいうのは、非常にいやらしいものである。それは皆、拙劣きわまる演技でしかない。
稲妻 。あー こわー なんて男にしがみつく、そのわざとらしさ、いやらしさ。よせやい、と言いたい。こわかったら、ひとりで俯伏 したらいいじゃないか。しがみつかれた男もまた、へたくそな手つきで相手の肩を必要以上に強く抱いてしまって、こわいことない、だいじょぶ、など外人の日本語みたいなものを呟 く。舌がもつれ、声がかすれているという情無い有様である。
太宰自身、意に反するはずみを「もののはずみ」に勘違いされて大迷惑するのだけど、その相手である女性にびしっと言うところがいい。実際に太宰みたいな人に電車で居合わせたら「変な人…」と思ってしまうだろうけど、読んでいる分にはおもしろい。
こんな風に恋愛、愛、性愛などについての考えを述べるのが前半、後半は恋がいかに「チャンス」ではなく意思に左右されるものなのか、太宰の体験がつづられる。
恋のチャンスにびくともしない、太宰の「意思」とは何だったのか。続きはぜひ、本文を読んで確かめていただきたい。軽く読める内容なので。
きっとそれくらいのことなのに、大事になっている。恋愛とか、性愛とか。シンプルに、生物的に考えると「なーんだ、そんなことか」と思う。太宰が言うように、「愛」なんてくっつけるからややこしいことになるのだ。愛は愛だけで十分だ。
どうせどちらもわからないのなら、とても難しいらしい「愛する」を目指したい。
*1:中学か高校のころ、友人が太宰が好きだというので買って読んでみたけれど、途中で投げ出して10年以上放置している本が、きっと本棚のどこかに今もある。相性があまりよろしくなかったのかもしれないが、これを機に見直すことにしたい。