ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

運命とか運勢とか

明けましたね。
今年(昨年?)は、えいやと割り切って、お正月にゆっくり論文を書こうと心に決め、年末の一週間、掃除にいそしみました。その甲斐あってすっきり。

もう一つある、年末年始恒例のやるべきことも今しがた無事片付きました。
それは、新しい一年を占うというもの。

 実は、占いができます。
できます、とは言っても実際は誰にでもできるものだし、十分に勉強しているかというと、いつまでたっても「なんちゃって」です。

占うなんてよほどの占い好きかと言えば特に占い好きだったわけでもなく、どちらかと言えば信じない派でした。当然、占う側になるなんて、思いもしなかった。
じゃあなんで?というと、漢方の先生に「きりんさん、やってみるといいかもですね」的なことを言われ、それが易占いで、陰陽など東洋医学に通ずるところもあって興味を持ったからです。迷って知恵を借りたい時によさそうだなと思ったのです。

以来、家族とか知人とか、頼まれたら占います。あとは一年の初めにその年について一人一人占うといった感じ。自分で言うのもなんですが、結構当たっていると思います。同じ人の運勢を一年ごとにたどっていくと、ちゃんとストーリーのようになっていておもしろいです。
自分の分も一年を占うんですが、昨年は四大難卦と言われるものの一つが出ていて、良い意味でそんな感じの一年になりました。(今年の自分の分は怖くてまだ)

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2018年分から口頭伝達をやめ、こんな感じのを手渡しや郵送で。

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今年は、四苦八苦しながら英語ヴァージョンにも初挑戦しました。

 

占いから縁遠かった身が占う側になって思うのは、占いとは「あるサインに気づき、それを読み解く(解釈する)」ものであるということ。
占いが当たるとか当たらないと言われる時って、「あなたの一年は最高についています」や「問題の多い一年になりそうです」のように、「未来を予測する」ことのように思われがちです。あるいは、「あなたにはこんな秘めた力があります」のような意表を突くタイプ。

占いの種類にもよるのでしょうが、実際のところ多くの占いは「今(あるいは過去に)持っているものが未来にどうつながっていくか」を読み解いていくものなのではないかと思うんです。
だから、本当はサイコロを投げて1が出るか6が出るかといった賭けのようなものではなくて、「なんか喉に違和感があるけど、ただの使い過ぎかな?それとも風邪の兆候?」といったことを筋道立てて(時に飛躍させながら)考えるためのものではないかと。

「占い」というとどこかスピリチュアルで合理性に欠けるもののようですが、実際のプロセスとしては、今の状態とこれからをつなぐ、とても論理的なもののような気がします。結果が論理的なものになるかどうかは、まぁ「当たる」とか「当たらない」とかの問題になってくるかもしれないですが。

占いが何かを言い当てるように見えることがあるとすれば、それは占われる本人が本当に気付いてなかったか、その部分にすごく鈍感だったかといった感じなのかもしれません。

 

占いを現状を読み解く手段として見てみると、運命や運勢といったものも、また違った風に見えてきます。
運命というのは変えられない絶対的なものとしてあって、自分の意志とは無関係に与えられているもの、というイメージがあります。運勢だって、降って湧いたようなものといった感じでしょう。

でも、読み解く側からすれば、本人と彼女・彼らを取り巻くものが組み合わさって、運命や運勢というものを形作っているように見えます。
つまり、ある人がどう動くか、あるいは取り巻くものがどう変化するかによって、運命や運勢というのも変わってくるのです。

 

もし、運命や運勢がそんな風に形作られるものならば、自分自身や自分の置かれた状況をうまく読み解くことで得られる結果を良い方へと向かわせることができるはずです。
そのために読み解くものは卦でも、ホロスコープでも、姓名でもなんでもよくて、なんなら今食べたいと思っているもの、どうしても気の進まない案件など、日常に転がっている出来事だっていいのです。
自分自身でそういった身近なサインを読み取れるのなら、それに越したことはないでしょう。見知らぬ誰かが読み解く占いより、云十倍もあてになります。

しかし実際は、あちこちにサインが転がっていたのにまったく気づかなかった、ということの方が多いです。思えばよく身体をどこかにぶつけていたとか、確認不足が多かったとか、不注意が重なっていたよなと後から気づけば良い方でしょう。

だから、占いというのは一つの客観的なところから見た「注意報」のようなもので、気づくべきことに気づきやすくする、あるいは複雑に入り組んだ問題の中の「とりあえずの一つ」に焦点を当てやすくするためのもの、くらいのものなのだと思います。

 

占いのすすめというわけではなくて、一年の運勢といったものを目にすることが多い時期なので書いてみました。
おみくじもそういった気持ちで引けば、一つの指針やメッセージになり得ると思うので(わたしは一年間手帳にはさみ、時々見返す)、吉凶にとらわれず中身をよくよく読んでみるとおもしろいですよ。

 

それでは、良い一年になりますように。