ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

Aロマンティックな自分がすきだ

無敵じゃん、と思っていた。
Aロマンティック(他者に恋愛感情を抱いたことがない)みたいだけど、恋人やパートナーが欲しいわけでもなければ、結婚・出産・育児願望があるわけでもないし、恋愛沙汰に巻き込まれる可能性も極めて低い。

要するに、「自分はAロマンティックなんだろうな」と思いながら、そのことを意識せずにいられる特殊な条件下にいたということ。真空状態でのみ成り立つ実験結果、みたいな感じで。

自分が望みさえすれば、たぶんずっと、そのままでいられる。
でもそれは、Aロマンティックとして生きている、というのとはちょっとちがう。
自動的に何かを意識しないでいられるのと、何かを自分の意思で選択してそうあるのとは、無計画にだらだらしてしまった!と後悔するのと、意識的にくつろいでリフレッシュできた!と満足するのと同じくらいちがうことだと思う。
もちろん、どちらがいいとか、悪いとか、そういうんじゃなくて。

 

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わたしはAロマンティックなんだなと気づいて以来、それでいいじゃん、と思ってきた。
だけど、ときどき、それで本当にいいと思ってる?なんて自分が自分に聞いてくる。
それってさ、逃げじゃないの?なんて。

結論から言えば、逃げだっていいじゃん、だ。
でもたぶん、自分が自分に聞いているのは、そういうことじゃない。

「自分はAロマンティックだから」で説明できないことは、たくさんある。「Aロマンティックだから」で説明できることより、ずっと多く。

そんな「たくさん」のことも、「Aロマンティックだから」で都合よく、線引きしちゃってないだろうか、そういう感じのこと。
もっと言うなら、「Aロマンティックだから」と言って、自分で狭めてしまっている可能性があるんじゃないか、ということになるかな。

 

そんなもやもやがあったからなのか、単なる好奇心なのか、それとも気分が良く外向きな気持ちになっていたからなのか…自分でもよくわからないけど、普段なら一刀両断しそうな話にOKを出していた。

友人が異性を紹介してくれて(まったく頼んでいなかった)、「友達作り感覚でいいから」を7.5割くらい本気にして、とりあえずやり取りをすることになったのだ。

もちろん、後からとても後悔した。
大したやり取りもしていないのに、食欲は一気になくなり、体重は激減した。 

解決方法は簡単だ。適当な理由をつけてやめてしまえばいいのだ。
そんなにストレスになっていて、その結果が明らかにわかっているのなら、どう考えたって、そうしたほうがいい。
でもそれは、嫌な記憶を一つ増やすだけのような気もした。本当に自分ではどうしようもないことなら、逃げてしまった方が絶対いい。だけど、これは、自分で勝手に思い込んで嫌になっているものなんじゃないか、そんな考えも浮かんだ。

 

何がそんなにも苦痛なのか。
異性として見られること/振舞うこと。
恋愛を意識しなければいけなさそうなこと、だけど自分は、どれだけ時間をかけてもそんな風には考えられなさそうなこと。
忘れたと思っていたはるかかなたの記憶が、関連づけられてしまうこと。
こんな感じ。

 どうしたものかと悩んでいたとき、しばらく追えていなかったTwitterのタイムラインに目を通した。
びっくりするくらい、気分の悪さが消えて、なんの根拠もなく「やっぱりここなんだな」という気がした。

とりあえずやり取りがひと段落した途端、身体中の力が抜けて、眠くなって、とてもお腹が空いた。

それで、ちょっとわかったのだ。
わたしはたぶん、Aロマンティックじゃない自分になろうとしていた。自分で勝手に決めつけて。
異性として見られることはあるかもしれないし、ないかもしれないけど、とりあえず自分が異性として振舞わなきゃいけないなんて、そんな必要ないのに。
誰かが恋愛を意識したとして、自分も意識しなきゃいけないなんて、そんなはずあるわけないじゃん。
何かに似ているからって、同じなわけないよ。

 

「このシチュエーションは、こういうものだ」
そんな「暗黙の了解」みたいなものは、あちこちにある。
いろんなことを省略できて、物事はスムーズに進む。
でもそれは、絶対じゃない。その通りなんて保証はないし、その通りじゃなきゃいけないわけでもない。うわべだけで、記号的に進めなきゃいけないものでないなら、なおさら。

 

身体中の力が抜けたとき、自分に戻ったような感じがした。
ひとりでも楽しくて、リラックスできて、うれしい感じが満ちてくる。
わたしはしょうがなくそうしてきたのではなくて、こんな状態が、こんな自分が、すきだったんだ、と思った。

はじめからわかっていたんだけど、わたしは、わたし以外のものになんてなれない。
もちろん、自分の立場や置かれた環境によって、それらしき自分を使い分ける必要はある。
だけど、自分で選んだことの中でくらい、嘘をつかなくたっていいと思うのだ。

 

だから、今まで通りに戻るのはやめにした。
今まで通り、というのは、自分に向かないなと思うものを、積極的に避けていくこと。そして、1対1の親しい関係の中で、嘘をつき続けることも。

人生から恋愛に発展しそうな事柄を排除する、ということは、実は恋愛に発展しない有意義なコミュニケーションや関係性も「恋愛につながるかも」と決めつけて、取り除くことと同じような気がする。
たとえその予測の方が圧倒的に正しいのだとしても、その「決めつけ」は、わたしの考えではない。
長い時間の中で、多くの人が「そういうものだ」と共有してきたことに合わせようとているだけ。なんで「そういうもの」なのか、考えもせずに。

だからといって、「Aロマンティックです」なんて、説明してまわる必要もない。
わかったふりして、笑っていなくてもいい。
わたしが思うまま、仲良くしたいのならすればいいし、わからないことはわからないと言えばいいのだ。
結局、人と人が向き合っている。恋愛する人としない人ではなくて。
だから、自分の思うままにとはいかないだろうけど、話せるなら、話せばいい。どう考えているのか、何を悩んでいるのか。

そんなに簡単ではないことは、わかっている。
でも、自分に嘘をつくより、「まだ出会ってないだけ」と同じように「恋愛はこうだから」と決めつけるより、気持ちは軽くなるんじゃないか。

わたしは、ロマンティックな要素のない人生が、なかなかすきみたいだから、せめてそれを、自分自身で塗りつぶしてしまわないようにしようと思う。