ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

「これがあれば安心」を一つ

鍋いっぱいに野菜スープがあると、「よし、これで大丈夫」という気になる。
 夏は鶏の胸肉のゆで汁で、ナスやトマト、ニンジン、セロリをぐつぐつ。
冬は白菜をショウガ多めで。

 わざわざ野菜のために一品を、というのはなかなかハードルが高い。メインに加えて一から副菜もだなんて、栄養よりも疲労が上回ってしまう。
だから、とにかくなんだっていいから、これ一杯あればまぁ大丈夫でしょう、というものがほしい。

 

今年は産直の野菜が好調だ。
まだ冬になりきってもいないのに、キャベツもブロッコリーも白菜もカブも、とにかくアブラナ系の野菜がごろごろしてる。妙に大きくて、信じられないくらい安い。例年より気温が高い気がするけど、晴天続きがよかったんだろうか。

そんなに食べきれないとわかっていても、新生児くらいあるんじゃないかという白菜を一抱えカゴに入れたい誘惑にかられる。
特に、産直で冬の初めの方にしかでない、「オレンジクイーン」という品種がレアもの兼お気に入りで、売り場で目にすると親しい友人との偶然の再会のように喜び勇んでしまう。今年も会えたね、君を置いていけるはずないじゃない、なんて感じで。

「オレンジクイーン」はその名の通り、全体がオレンジがかった白菜。通常なら白い芯の部分も透き通った夕張メロン色をしている。見た目も少々変わっているけれど、煮込んだ時の柔らかさが最高なのだ。これまた通常より黄みがかった仕上がりで、シャキシャキ感がなく、とろとろっと汁に泳ぐ。

この品種に出会うずっと前から、冬といえば白菜スープだった。圧力なべで、がががっと煮込む。圧力鍋の使い方をマスターさえすれば、あとは簡単と思っていたが、いざ自分で作るようになったそれは、母が作っていたものとどこか違った。後で酒と醤油を回し入れるのだと教わった。コンソメベースのスープに和風の風味。おまけに最近では昆布も入る。ぴりぴりとしたショウガと片栗粉のとろみで、ひりひりアツアツ、冬に欠かせない一皿だ。

「オレンジクイーン」は、まだスーパーで見かけない。こんなにおいしいのにどうしてだろうと不思議だった理由が、今日やっとわかった。すごく傷みやすいのだ。
まだ前の白菜も使い切れていないのに、たまらず買って置きっぱなしにしていた「オレンジクイーン」はところどころ傷みだしていた。
鍋にぎゅうぎゅうに詰め込んで、スープを作る。きっと、明日も明後日もその次も。
つまり、明日も明後日もその次も、野菜をとる心配をしなくていい。楽ちんだ。

 

この安心感に浸りながら、つい先月読んだばかりの『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』を思い出した。この本にも、「これがあれば安心」の一品たちが、いろいろなエピソードとともに登場する。

とりあえずウミガメのスープを仕込もう。

野菜を食べさせなきゃ!と必死になっていたけど、子どもの授業参観(家庭科)で人参100グラムに含まれるカロテンが1グラムにも見たいないだと知った安堵と、「それだけ」に左右される人間の繊細さを思うこと。
おいしくていつも注文していた生協の鮭(5切入り)が、4切入りでよくなった時の「これじゃない」と湧き上がる涙。
大雪に閉じ込められた時に娘の「おいしいパンケーキを焼くよ!」にどうしようもなく救われたこと。
より大きなOKを家族からもらうために、毎日すごくがんばっていたけれど、手間をかけず、品数も減らして、それでも自分からOKを出せるようになったこと。

どれも全然特別じゃない、日常の一コマの一皿や一つの出来事なのに、どの話を読んでも、うるうるっとこみあげてくるものがあった。

 

「これがあれば安心」はちっとも特別じゃないのに、一日という橋がぐらつかないように、陰でこっそり渡り切るのを支えてくれている。「普段」を続けていくのは、簡単なようで、そうでないこともままあるものだ。『とりあえずウミガメの…』に収録された短編小説で、元気をなくした主人公に、その妹が何か料理を作ろうと持ち掛ける。「気力があるから焼くんじゃないよ、ないから焼くんだよ」と。元気がない主人公に、手伝うからと寄り添う。
つまり、「これがあれば安心」は手作りの一品とは限らない。いつも変わらずにあるお店やスーパーだっていい。一緒に作る人、食べる時間、食べ物じゃなくて、本や音楽、「この場所なら」というのでもいい。そういった「これがあれば」をたくさん持っていれば、いろいろなぐらつきをあの手この手でかわしていけるんだろうな。

 

とりあえずウミガメのスープを仕込もう。

とりあえずウミガメのスープを仕込もう。