ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

花粉はどこに消えるのか

 花粉症ですね、と言われてから20年くらい。花粉症ではなくなったかもしれない。

なる時はある年から突然なる、なんて聞くけれど、その逆はじわじわとやってくるみたいだ。
年々症状が軽くなり、まぁそれでもこんな調子でいくのだろうレベルがだらだらと続いていたところ、ここ数年格段と軽くなり、今シーズンに至っては、それらしき症状が見当たらない。このシーズンならではのむくみも、多少あるかな、くらいで。

 

「実は、花粉症で…」なんて言葉を聞くと、さぞ辛かろうと、できることなら症状という症状を取り除いてあげたい気持ちにかられる(なんの資格も術もない)。今の治療法や薬の効き具合、副作用はわからないけど、どんなに手を尽くしても、花粉症である場合とそうでない場合とではパフォーマンスが全く別物だと思う。

わたし自身、一番症状のひどかった中高生時代、薬を飲もうが鼻がつまり、息ができず、集中力もだだ下がりで、目や鼻、口、耳、喉など、あらゆる場所が痒く、苦しかった。できることなら顔や身体のパーツをすべて取り外して、まるっと洗ってしまいたい、と何度思ったことか。とっくに解放された苦しさなのに、今でもリアルだ。

 

f:id:kirinno_miruyume:20210308144305p:plain

 

ネットでざっとみる限り、花粉症は完全に治るというものでもないらしい。治ったとしても、あるいは原因を取り除いたとしても、何かしら別のものに反応する可能性もあるのだとか。

仕組み自体をぼんやりとしか把握していないのでわからないけど、ありうるなと思う。
思えば、花粉症が姿を現したのは、アレルギー性の気管支炎が影を潜めだした頃だった。その前には食物アレルギーもあったようだし、アレルギー・マーチというものなのかもしれない。

花粉症があまりにひどかったため、当時は珍しかったと思われる減感作療法というものも数年ほど取り組んだ。アレルゲンの入った注射、計4本を週に1回打つことからスタートし、次第に2週間に1回、月に1回と様子を見ながら間隔をあけていく。

最悪の状態は脱したかもしれないが、続けている割に目に見えた成果はなかったように思う。それらを終えて数年経って「軽くなったかな?」と思うようになったので、それを「効いた」というのかもしれないけれど、わからない。治療中、思ったほど反応が小さくならなかったし、結局は何にでも過剰反応する体質なのかもしれなかった。

 

では、何が効いたのかというと……わからない。強いていうなら、バランスかな、と思う。

この10年ほど、別の疾患で漢方薬とその考え方に助けられてきた。
漢方の先生に、あなたの体力レベルは水たまりのようなものです、と何度となく言われた。健康な体力が湖だとすれば、わたしのそれは水たまりなのだと。ちょっとした要因で、すぐに干上がってしまう。この水を溜めていくことができなければ、頻繁に不調を繰り返し続ける、だからたっぷり寝てください、仕事諸々7割の力で、ということを繰り返し説かれ続けた。

何が自分にとってベターで、心地よいのかを探った。何かを諦めたり、大切にしたり。
そうして、湖とまではいかないけれど、水たまりの一段上には行けたのかもしれない。週ごとに調子がコロコロ変わっていたところから、半月になり、ひと月になり、数ヶ月、半年、一年と。それを体質が変わったと言うのかもしれないけど、体質が変わったから元気になったのではなく、考え方や摂取するもの、行動が変わったから、体質も変化したのだろうと思う。

 

正解はない。わたしによかったものが、誰にとってもいいわけではない。人間の体の構造なんて、まぁだいたい同じなのだから、と思われるでしょうが、それほど単純ではないどころか繊細だ。

だって、目に見えない花粉やウイルスに右往左往しているのだ、今だって。なぜかそれにひどくダメージを受ける人と、受けない人がいて、その違いはざっくりと説明できなくもないけど、絶対こうですとはたぶん言い切れない。

たとえば、風邪には葛根湯とか、納豆は身体にいいとか、1万歩歩こう、1日2リットル水を飲もうとか、色々あるけど、結局どれも人それぞれ。

 

身体のことに、「こうすればこうなる」なんて公式はない。
そのことを、わたしたちは忘れがちだ。

それは、誰のせいでもない。自由なようで、あらかじめ決められていることがあまりにも多すぎるからだ。

1日の労働時間や始業時間、休日とそうでない日、簡単にアクセスできる情報とそうでないもの、暮らしを最低限維持するのに必要な金銭などなど。わたしたちの生活を規定するのは、繊細で常に変化するこの生身の身体ではなくて、誰基準?と思ってしまうような外側から与えられたルールや価値観。ぴったりこないどころか、自分をボロボロにしてくれてしまうようなものであっても、そこから完全に自由になることは難しい。

唯一無二の「わたし」というもののバランスをいかに把握し、いかに調子よく保つか——わかっていても、外側の基準に身を委ねるしかないことばかりでうまくいかない。外側の基準、つまり大きな枠組みの中に組み込まれたわたしたちは、その中で各々の役目を果たし、全体のバランスを保とうとしている。そのはずなのだけど、実際はがんじがらめになって、小さな花粉一つに右往左往する。一人一人がバランスを失って、その一人一人からなる全体も調子を崩しているのかも。

内でも外でもいい、とにかくバランスの取れた状態を一つ用意すべきなんだと思う。そうすれば、たとえば花粉自体は消えなくても、まるで花粉が消えたかのように快適に過ごせるようになる。そうでないなら、花粉なんて気にならないくらいの、外側のバランスを手に入れるか。

できればみんなで、花粉が消えても消えなくても、花粉以外の何かが悪さをしてもしなくても、それが何?という顔をしていたい。

 

今週のお題「花粉」