ゾウになる夢を見る

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アセクシャル(仮)とモラハラな彼(4)~スキンシップと違和感編~

ふり返り4回目。
とにかく現状打破したい、と付き合うことになるまでが前回。

kirins.hateblo.jp

 今回は、付き合ってから…のつもりでしたが、告白バトルの増強版が繰り広げられるだけなので、この辺はさくっといきます。(正直なところ、今となってはどうでもいいので…。)早送り部分は飛ばして差し支えないです。

それよりも今回は、わたしが「アセクシャルでは?」と思うにいたった出来事などを中心に書いていこうと思います。自認(仮)までのストーリー前編といった感じです。

 

 

>>>>早送り>>>>

ほんのしばらくは穏やかで、あの修羅場から抜け出せてよかった、付き合う方がましだと思っていました。
が、そんな考えを見抜いたのか、Rは徐々に本性を出し始めます。

「もう、そろそろいいかなと思うんだけど、お互いいやなところがあったらちゃんと言っていこう。N(前彼女)ともそれでうまくいかなかったし。きりんはさ、普通に告白してもOKしないと思ったし、しばらく様子みないとすぐ別れるとか言い出しそうだったから」
という大義名分のもと、「いやなところ」を突かれはじめます。

「いやなところ」の多くは、わたし自身が自信なく思っていたところや、そうありたくないと思っているところでした。
もめることも多く、何か問題が起これば、それはすべてわたしのせいということになりました。何かあるたびに謝り、謝れば「何で謝るの?」と、それはそれで怒られる、みたいな。もう、わけがわからない日々でした。もめるために付き合っていたのでは。
 

ただ、1点だけわからなくもないな、これはRじゃなくても同じだろうなという点もあります。思うのと、ずばずば言ったり、人に広めたりするのは別なのだろうけど。
それは、「普通彼女だったらさー、…以下略…」というもの。

わたしはRのやきもちを妬かせようとする言動にも冷淡だったし、会いたいというのやスキンシップ欲もなかったので、無理もないなと思います。
「彼女」として扱われることは落ち着かず、Rの求める「彼女らしさ」や「女性」として振る舞う自分というのはなんとも気持ち悪くて、違和感だらけ。好きかどうかもあやしかったわたしにとっては、すべてがそう簡単なことではなかったわけです。
別れるという話も半月に1回くらいはしてましたが、告白時同様、すべてがなかったことになっていきます。

>>>>ここまで>>>>

 

と、ぐだぐだな関係についてはこのくらいで。
多くは負けっぱなしでしたが、本当に違うと思ったら理詰めで攻めていくのがわたしなので、Rはいざ付き合ってみるとイメージと違うと思ったのではないでしょうか。
関係を終えるにあたっては、後述の違和感や「なんかこのままいくとやばそうだ」という直感にも助けられました。

 

さて、「卵が先か、鶏が先か」のような感じになりますが、わたしがアセクシャルと自認しきれないでいるのも、Rとの関係があったことと無関係ではない気がしています。
上述のような付き合いしかしたことがなく、それが誰かを好きになったり、そのうえでの欲求を持つことのブレーキになっているのでは?と思うのが1つ。
もう1つは、恋愛感情を持たない(アロマンティック)ということとモラハラということを取り除いても、誰かと近い関係をあまり築きたいと思っていないという自分の性格がアロマンティックやアセクシュアルっぽい性質に見えているのでは?と思うこと。


経験したことや感覚をきれいに分類することはできないと思っていますが、Rとの関係の中で気づいたことや覚えた違和感、それと重なるようにして関わっている自分の性格――そういったものを解きほぐしてみようと思います。

すべて取り払ってみても「あれ?」と思うのが、いわゆる恋人同士のスキンシップに、喜びも安心も何も感じられなかったことです。
手をつなぐ理由もわからない、キスはもっとわからない、身体を触られるのはさらにわからない――フィクションで見る恋愛とはずいぶん違います。
どきどきしたり、うれしくなったり、はずかしくて顔もあげられなくなったりするもんじゃなかったの?と。
好きかどうかやRの言動を抜きにしても、そんなシチュエーションが少しもうれしくも楽しくもなかったのです。

たとえば、手をつなぐことがどうしても納得できないことについては、レポート用紙数枚に理由を書いて渡したことがありました。Rのことをいろいろ言ってますが、わたしもだいぶずれているなぁという自覚はあります。

とにかく、どれも違和感がついてまわるんです。
はじめは、はじめてだからかな、そのうち慣れるだろうと思っていました。でも、最初の違和感はどんどん広がるばかりでした。
これはRのことが好きではなかったからで、「好き」という感情があれば変わる可能性は高くなるのかもしれませんが、そう単純ではない気もしています。

 

自認をしかねる性格的な問題もあります。パーソナルスペースが広いだけや内向的すぎるだけなんじゃないか?と思う点です。
スキンシップにものすごい嫌悪もないんですけど、うれしくもなくて、ただなんの意味も感じられないために不快なこともある、ということを説明すると、以下のようになります。

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 普段は、自分でもよくわからない自分が、ずっとずっと奥の方にいる感じです。
たぶん、とても内向的なんでしょうね。何かで内向型を、玉ねぎの芯みたいに幾重にも皮に包まれているとたとえてありましたが、そんな感じ。

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ふだんは自分の内側と外側の違いを意識せずにいられるんですけど、接触が多くなると、どうしても自分の輪郭のようなものが浮かび上がってきます。
外側にフォーカスが当たると、身体とはこんなに頼りなく、自分は女性であり、おまけに恋人という役割を求められている……!と、普段意識しないところが不自然に強調される感じ。
ちなみに、感情と身体的な反応が一致するスキンシップであれば特に何も思わないので、友人間で感極まってハグ、手をつなぐとかは大丈夫です。
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外と内の違いがあまりにもはっきりしてくるので、スキンシップ中は、中の自分が外の自分を見下ろしているような感覚でした。
これはこの件だけでなく、日常においてもあることなんですが、通常とは違って、相手と自分の気持ちの違いが浮き彫りになります。感情の輪郭がわかるといった感じ。お互いの思いが一致しないのです。
身体(感覚)的なものと情緒的なもの――この2つの輪郭と違和感は同じようでいて別種のもので、2つが合わさることで相手のことが異種のような、自分とは別ものに思えてくるのではないかと思います。もし情緒的なものが一致したとしたら、身体(感覚)の方の違和感がかなり強調されるのではないかと思うので、それはそれできついかもしれません。

もちろん、こういったことをスルーすることもありました。中には壁ドンとか、暴力的でこわいものもあるので。
ですが、「いや」と言えば、告白時同様、納得のいく理由を求め続けられますし、「xxしないと帰さない」とか「xxしないと授業に行けなくなるけど、どうする?」となるわけです。
わたしにとっては意味がなくて、意味がないと不快なこともあって、でも嫌悪ほどではない――いろいろなことが面倒になって受け入れるわけですが、そんな空っぽなやり取りをしていると、何が正しいのかもわからなくなっていきます。
正直、痴漢と何が違うのだろう?相手を知ってるかどうか?なんて思うことも多々ありました。

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ただでさえ違和感があるので、Rの恍惚とした目や甘い声は異常に思えたし、ふだんがふだんなので、いっそう「変な人」に見えました。問い詰める時とは真逆の感じで、何か変なスイッチが入ってしまったようにしか思えない。みんなそういうものなのか、Rだからなのか、これもよくわからないままです。

 

もし、誰かを好きになることがその誰かと一緒にいたかったり、べたべたしたかったりすることにつながるのだとしたら、わたしはその世界というか設定というか…そういうものに入り込めそうにないな、と思います。常に冷静な自分がいて。好きになっても距離は確保しておきたいというか。
いや、その冷静さが吹っ飛ぶのが恋なんだよと言われるかもしれないけども。

 RもRだったけど、わたしもわたしなところがあって、今でもよくわからないままのことだらけです。
ただ、モラハラアセクシャルと断定できないにしても、Rのことを思い出してどきっと(いい意味ではない)しなくなり、どうでもいいなと思うようにすらなったのに、誰も好きになりそうな気がしないのは、自分のもともとの性格や、その中のアロマンティック/アセクシュアル的な要素が無関係ではないのかもしれません。

自分がはっきりできないことの根っこに何があるのか――こうしてふり返ってきたわけですけど、当初考えていたようには、何もはっきりしなかったなと思います。
1つだけ、恋愛感情というのはプラスのイメージがあるけれど、実はそれだけではとても危うい、時に危険なものにだってなり得るのではないかということに思い至ったので、次回はそのようなことついて書いていきます。

 

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