ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

セクマイといちごジャム

何年ぶりだろう、いちごジャムを作った。
いちごジャムを作れる年はそうそうやってこない。スーパーでお行儀よく並んでつやつやテカテカしてるイチゴは、ジャムにするにはもったいない。ときどき産直に加工用のイチゴが出ているけど、加工用と言うわりにきれいだしお高い。ジャムにいいのは、形は悪くても味が濃いもの。できればすっぱめがいい。

この春に引っ越した先で小さな個人商店に通うようになって、「ここならいけるんじゃないか」と期待していた。もともと不揃いだけど味が濃いイチゴが並んでいるし、大きめの加工用のイチゴが店頭に出されていたから。

思った通り、今週も加工用のイチゴが出されていた。しかも少量、1パック100円。
こんなこともあろうかと、レモン果汁を用意しておいてよかった。
ただ、瓶だけがどうしても見つからなかった。イチゴを手に入れてしまったので、瓶を手に入れるためだけに、ちょっと離れたホームセンターに行くことにした。

準備は万端。

イチゴは洗って、大きいものは切って、砂糖とレモン汁にまぶしておく。数十分でいいらいいのだけど、気づけば4時間くらい経っていた。なかなかの果汁の出具合。

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途中、鍋が大きすぎたので小さなものに移し替えた。たくさん作れたらどうしよう、と期待しすぎだった。ついでに瓶も大きすぎ(期待しすぎ)で、半分も届かなかった。

 

ジャム作りというのはシンプルな分、その人の性格が出ると思う。わたしはいつもちょっと足りない。用心しすぎるからだと思う。
案の定煮詰め足りなくて、寝る前に煮たものが今朝起きるとイチゴシロップでしかなかった。

仕方ないので、煮詰めなおす。多少はやり直しが効くのもいいところ。
火を止めるタイミングになると、ジャムが宝石みたいにきらっとする気がする。

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無事、好みのゆるめのジャムに仕上がった。
早速出来立てをいただく。瓶に移し替えてもキラキラ。
きび砂糖を使ったせいか、思っていたより甘かった。それでも残る、耳の裏につんとくるような甘酸っぱさで迎える日曜の朝のしあわせ。

 

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昨晩ジャムを煮た後に見たドラマ、「きのう何食べた?」第2話で奇しくもいちごジャムを作っていた。その前日に見た第1話の買い物のシーンがまるで自分のようだと思っていたら、作っているものまでかぶっていて笑えた。

www.tv-tokyo.co.jp

ゲイのカップルが主人公で、西島秀俊さん演じるシロさんが晩御飯を作り、2人で食べるという話。

ドラマ自体はセクシュアル・マイノリティ云々ということが中心軸にあるのではなくて、きちんと食べて暮らすということの登場人物がゲイのカップルだったというだけのように見える。実際、ゲイということが料理の内容を左右するわけではないし、ゲイであるかどうかということが話の本質を大きく変えてしまうようにも思えない。主人公がゲイであるということが、原作である漫画や今回のドラマの視聴者層を根底から変えてしまうものかというと、これもまたそうでもない気がする。

そう思いながらも、「セクマイだからこそ」という部分が成り立たせているところもあるような気がして、ちょっと切ないような、悲しいような、でもだからこその幸福感のようなものが混ぜこぜになった。

わたしはゲイではないし、そもそも男性ですらない。
強いて言うならAロマンティックでAセクシュアル。恋愛感情を持ったことはないし、異性同性問わず誰かに性的に魅かれたこともない。
それで困ること、思い悩むことはあまりないけど、ふとした時に「普通」の世界を遠くに感じる。街中に異性同士のカップルや夫婦しか見かけないことも、ときどき不思議で、奇妙で、仕方がなくなる。

セクマイだろうが「普通」だろうが、生活や暮らしというものが生きている限り続く。何をしなくともおなかは減るし、洗濯物や部屋の埃も何もしなければ溜まっていく。
掃除ロボットを筆頭に毎日を助けてくれる家電があるし、便利な半調理品、家事外注サービスも人気だろう。モノやお金に頼らなくても「家事分担」という手だってある。
生活すること、暮らすことは消化してもしきれない「面倒」なことで、できれば簡単に済ませたい、思い悩まされたくない――というのが主流の考え方だろう。

わたしだって、そう思ってきた。どうにかならないものかと、あれこれ考えたりもした。でも、毎日「面倒なこと」が片付くことなく乗っかっているというのは、なんともすっきりしない。
生きること、生活すること、暮らすこと。それをただひたすら「こなす」ものとして扱っていくのは、なんかちょっと違うんじゃない?と思うようになってきた。ほんとはもっと、大事にすべきことなんじゃないの?と。これについてはまたいつか書きたい。

 

で、生活し、暮らすこと、だ。

もちろん誰にとっても大事なことなのだけど、そこに含まれるありふれた諸々のことが、セクマイにとっては時にどうしようもなく手に入れにくいものだったり、憧れてやまないものだったり、毎日の中にあることに「普通」では考えられないくらい感慨深く思ったりするものがあるんじゃないかと思うのだ。

特別な誰かと「面倒」なことを毎日毎日、嫌になるくらい繰り返すこと。
友人や恋人、血のつながった家族でもないけれど、それでもどうしても無下にはできない誰かがそばにいて、その誰かのことを、「家族」として話題にできること。そう、周りから当たり前のように認められること。
もしそんな「誰か」が近くにいなくても、「いつかそうなるといいな」と夢見られること。

ただ身辺を整えて、食べるものを用意して、仕事に向かい、自宅に戻り、また明日のために準備をする。
そんな無限のループにはセクマイかどうか、「普通」かどうかなんて全く関係ない、誰だって同じだと言われればそれまでだけど、その日々の「暮らし」の重みが少しだけ違うんじゃないかと、ジャムを煮て、件のドラマを見て思ったのだ。

意識して整え続けなければ、簡単に壊れてしまうもの。
当たり前のように家の中と外の世界が地続きにあるのではないから、大事に大事にあたため、守っていかなければならないもの。
いくらでも簡単に済ますことはできるけど、自分が自分を軽んじたら、簡単には戻ってこれなくなりそうなもの。

誰だってそうだと言われれば反論できないけれど、自分や誰かを労わって食卓を囲むこと、環境を整えること、関係や立場を維持していくことに「普通」とは少し違った向き合い方をしているのかもと思う。

 

そうは言っても、ドラマの主人公シロさんのようにはいかない。
あの人は「暮らす」ことに関してとんでもないスペシャリストだ。

でも、一年に一度、ジャムを煮るくらいだったらできるかもと思う。
ジャムを煮て、ドラマを見て思ったのだけど、セクマイとジャム作りはぴったりくるような気がする。
じっくり時間をかけて、不揃いなものを一つのきれいな形にまとめていく。
日々の違和感の代わりに、煮ると出続ける灰汁をていねいにすくう。
雑味のもととなるであろう灰汁だけど、全部取り切ってしまうと味気ないような気もする。
焦がさないように、煮詰めすぎないように注意を払い、そのことだけに没頭する。無心になる。
出来上がったジャムのキラキラ具合に満足して、翌朝パンと一緒に食べることを心待ちにする。

 

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あのドラマはほんわかして、幸せそうに見えるけど、セクマイと「普通」のずれのようなものは、言葉を知っているか、偏見がないかどうかとかそういったところにあるのではなくて、毎日積み重ねられている当たり前のことの一つ一つに紛れ込んでいるということを考えさせられる。

そんなずれのバランスをうまく整えるのにも、ジャムを煮るのはいい。特にイチゴはきれいで、明るくていい。
いちごジャム一つに、ドラマ1話に、考えすぎだと笑われそうけど、セクマイといちごジャムの組み合わせが妙にしっくりきてしょうがなかった。

アセクシャルかどうか、迷ったときには

アセクシャル」という言葉と出会って、一年が経ちました。

「自分はAロマンティックでAセクシュアルなんだろうな」と思えるまでに、時間がかかったなと思います。この一年、ほとんど「アセクシャル(仮)」状態だったし、今思うと迷走してたなと思う時期もあります。周りとの違いに悩むよりも、言葉を知るのが先だったからかもしれません。

もちろん、どういう経緯で知ったのであれ、どんなセクシュアリティであれ、「本当にそうかな、どうかな」と考えるプロセスは必ずあって、「これだ」と思えるにはそれなりの時間が必要になります。そんな風に迷っていた時、他の人はどんなことに迷って、どうやって「やっぱりそうだ」と思ったのか知れたらよかったなと思います。ちょうどいい区切りだし、「こんな感じだったよ」、「こうすればよかったな」ということを一つの事例として残しておこうかなと思います。「そういう人もいる」くらいに見ていただけたら幸いです。

※以下、アセクシャルAセクシュアルと表記します。

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恋愛・結婚・出産してもしなくても、自分を「満たん」にできれば大丈夫

思いがけず、恋愛・結婚・出産について(ほそぼそと)考えた一年になりました。

改めて考えてみると、不思議なことだらけ。なぜ(比較的)人気なのか、恋愛・結婚・出産(育児)したりする人としない人が経験することってそんなに違うんだろうか――

そんなあれこれを、ちょこちょこ考え続けた結果行き着いたのは、
「してもしなくても、やっていること、目指していることは同じ」というもの。
そして、恋愛・結婚・出産のどれもが、結局は「自分のため」なのだから、それらをしなくても、自分を満たしていくことができれば全然大丈夫ということ。

見えてきた構造のようなものをちょっと書き記してみることにします。

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恋愛とは非常に恥ずかしいものだ、と太宰は言った

太宰が、なかなかすごいことを言っていた。
本当は「太宰治」というペンネームの人が現代にいて、いろいろと書き散らしているのではないかと思った。

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マジョリティとマイノリティ――グラデーションが見えないなら、作り直せばいい

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自分とは正反対の考えに耳を傾けるのは、なかなか大変なことだ。
心地悪いし、おもしろくない。
それは、至極真っ当という意味で、「普通」のことだと思う。

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