ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

妹の結婚

このとんでもなく暑い中、妹の結婚式があった。
なんでもが姉、わたし、妹の順で進んできた中、今回は初めて妹が先陣を切った。そこに何か特別思うことはないし、その点は姉も同じなのではないかと思う。

会場に着いた時はうだるような暑さの晴天だったのに、挙式中に激しい雨が降り出したらしい。ムービーと一緒に音がし出したから、何かの演出かな?と思いきや、雷だったようで。いかにもな片言の日本語を操る牧師さん(?)も時々「あれ?」という感じで天井を見上げていた。両手をあげて何かを宣言するときに雷鳴が聞こえたりして、すごい効果音だった。ついでに、わたしのお腹もごろごろ鳴っていた。お腹がすいていたので。
妹たちが例の「病める時も、健やかなる時も~」を誓った時、近くのJRの信号に雷が落ち、電車が帰宅時まで止まり(困った)、近くの空港の滑走路の一部に穴があいたらしい。すごかった。これほど予想を裏切り、印象に残る天候もなかろう。

参列すれば、なんかもうちょっと感慨深く、あるいは多少は羨ましく思ったりするものなのかな、と思っていたけど、そんなことは全くなかった。
妹は妹のままで、小さいころと何ら変わりなかった。

【過去】
「段々スカートでないとはかない‼」と、涙でぐちょぐちょの顔で床に座り込み、にらみをきかせながらワンピースにはさみを入れていた妹。
一緒に遊んでいて、何かの拍子に怒った彼女が、おもちゃのトンカチ(重めの木製)を振り上げて追いかけてきて、それを母に取り上げられると(母も止めるのに苦労し、「逃げなさい!」と叫ぶ→わたし、トイレに逃げ込み鍵をかける。)今度は怪盗セイントテールの変身ステッキを持って追いかけてきた妹。
ゲームコーナーの乗り物の前で、乗れることになるまでひっくり返って泣き喚いた妹。
目を離すとすぐにいなくなり、「(妹)ちゃんのお母さん、(妹)ちゃんが××でお待ちです。」と呼び出し放送がかかった妹。(お待ちしているのは母の方)
「今」が大事で、もらった大量のおやつも一度に食べてしまう妹。(妹に取られながら、ちびちび消費するわたし)
口中真っ赤にしておきながら、母の口紅を使っていないと言い張る妹。(クリスマスツリーの飾りのリンゴをかじり、食べてないと言い張ったバージョンもある)

【式中、前後】
式場は比較することも(おそらく)なく、予算もよくよく検討せず、友人の勤める会場を選んだ妹。
派手なブイサインと笑顔を振りまき、友人と写真を撮りまくりながら、食べることも忘れない妹。
結婚式の2週間前に、やっと両家顔合わせをセッティングする妹。(相手方のお兄さんが式に招待されたのは1週間前と聞き、妹だけではなかったと納得)
式後の転勤の引っ越しを4時間で済ませられると見積もっていた妹。
転勤前なのに子犬を飼い始めた妹…等々。

お判りいただけるだろうか。彼女はものすごく頑固で、こうと決めたらそれを曲げることはまずない。おしゃれへのこだわりも強い。計画性は、まるでない。名誉のために言い添えておけば、そんな彼女をうまいこと誘導し、導入だけ妹の好きな遊びにしてごまかし、中身は自分の好きな遊びにしたり、何かを選ぶ時に自分が選びたいのではない方を勧めたりしていたのはわたしだし、わたしがわたしなので、素直で従順な妹だったと思う。幼少期から現在まで、友達付き合いもよく、誰からも好かれ、ふわふわとし、イマドキっぽく着飾り、メイクは得意で、かわいらしい。家でのみ、無口だ。

だから挙式も披露宴も、妹ワールド全開で、とてもご満悦そうだった。結婚にも結婚式にもあこがれがないわたしは、手作りムービーや母親への手紙に感涙し、式のカメラマンのいいターゲットになっている姉を尻目に、テンプレ…なんて冷めたことを思いながら、結婚式というものを興味深く見つつ、なりふり構わず写真を撮り、それなりの量の食事を完食していた。お腹がすいていたので。
色々心配したけど、妹らしい良い結婚式だったと思う。末永くお幸せに。

参列してみて、相変わらず結婚や結婚式っていいな、自分もしたいなとは思わなかったけれど、思っていたほど悪くないものなんだな、と思った。これは予想外。そして、結婚って何なんだろうとますます思う。

いいものだな、と思った理由を書いておこうと思う。

関係が広がる

とても少額とは言えないお金をかけて、結婚式を挙げることに何の意味があるのだろうと思っていた。「式」という儀式や区切りが大事だというのはわかる。ただ、区切りというのは「式」でなくてはいけないわけではないし、例えば「入学式」や「卒業式」が節目として必要だったかというとそうでもないなと思っている。大事なのは、自分がそれをどう捉え、行動に移すかだろう、と。

でも、それぞれの生い立ちや現在の姿が紹介され、それぞれの関係者が集っているのを見て、別々に生きてきて、別々に新郎新婦を知っている人たちが、新郎サイドは新婦サイドを、新婦サイドは新郎サイドを知り、全体像として「新郎新婦」像が出来上がるのはなかなかおもしろいな、と思った。顔を合わせることがなかったはずの人たちが、二人が結婚することで一堂に会するのだ。直接知り合うわけではないにしても。

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これはきょうだいとしても同じで、自分だったら出会わないはずの人と義理のきょうだいになったりする。母曰く、妹にお相手はどんな人と訊いたら「(わたし)ちゃんみたいな人」と言っていたらしい。実際お会いしてみると、確かに被るところが…。中間子の共通項だろうか?でも、わたしの方がまだしゃべるし、計画的だよ、全然違う、と言いたくもある。会うたびに母への構えが少しずつ低くなっていくのがまたおもしろい。
対する姉もパートナーとともにこの日のために帰国していて、姉カップル、妹カップル、母、わたしで食事をすると、集うはずのなかったはずの人たちが集ってる感が一層増し、なかなかにクレイジーな取り合わせでおもしろかった。こんなことも、結婚ということがなければそうそうないだろう。

いままでとは違った関係になれる(といいな)

妹にはたぶん、家族(主に母)に対する何らかのわだかまりがある。誰も悪く思っていないのに、自分から壁を作っているようなところがあるのだ。正直なところ放っていてほしいのだろうけれど、結構気を遣い、心配してきた。
そんな妹だけれど、式後、少しコミュニケーションが取れるようになってきた気がする。本当にわずかだけど。そこは性格もあるし、家族4人にわーわー言われるのは想像する以上に最悪なのだろう。
結婚し、新たな関係が築き上げられていくことで、今まであった親子や姉妹の関係も一新されるのかもしれない。これが良い方に作用すればいいな、と姉(その2)は思っているよ。

新陳代謝とわかりやすい区切り

新しい人が加わり、新しい関係が築かれ、既存の関係も一新される――新陳代謝のように家族という形も変わっていくのだ。それは関わり方を変えることだったり、コミュニケーションの仕方や内容が変わることだったり、家の使い方や物の数といったことを見直す機会だったりする。
成人すれば、入学や卒業などわかりやすい区切りは激減する。その中で登場する結婚という節目は、とてもわかりやすく関係や物理的な事柄を替えていく。否が応でも変えざるを得ないことだってある。それは面倒なことを伴う反面、とてもわくわくするし、自分がじっとしていたなら得られない降ってわいたようなもので、ちょっと有難い。

 

ざっとこんな感じだ。
今まで思い至らなかったのもどうかと思うが、きょうだいの結婚を契機に訪れる細々としたことがなかなかに新鮮で、いいものだった。結婚や結婚式というイベントはやはりとても遠く、何枚もベールがかかったような他人事にしか思えないのだけど、その恩恵に預かれるという点で、姉妹がいてよかったなと思う。姉はどうするのか知らないが、姉が結婚したならますますクレイジーな家族と刺激が増えそうだ。

ただ、勘違いしないように気を付けたいのが、結婚のいい面は結婚でしかもたらされないわけではないということ。
結婚というのは確かにわかりやすく、理解もされやすい。けれど、家族や自分の周りの関係を見直し、作り替えていくこと、意識して新しくしていくことは、結婚を介さなくたって可能だ。たとえば、普段行かない場所に行ってみるとか、選びたかったものとは違うものを手に取ってみるとか、偶然や自分の選択では出会えなかったものに出会うことは、そう難しいことではない。それと同じように、家族や自分の人生のあれやこれやも、ちょっと違うな、と思う方に進んでみればいいのだ。いつもじゃなくていい。気が向いたらたまに、くらいで。
なんでも自分の意志で選んじゃえそうな時代に、願えばある程度のことはかなえられるかもしれない状況で、そうではないものに出会えうことはなかなかに楽しい。ネット上でもいい、本屋でも、コンビニでも何かのサークルや生き方だっていい。ちょっと違うものに触れることを意識していれば、自ら新陳代謝を活性化させることは可能だと思う。

結婚もいいけれど、結婚じゃなくてもいいのだ。