ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

ずっと好きだったんだぜ

「好き」と言うのが好きだ。
恋愛というか失恋というか、片想いすらしたことがないんだけど。

 

誰かが誰かのことを「好き」と言っているのを聞くのも好きだし、少女漫画の主人公がひっそり誰かを「好き」でいるのも好きだった。
なんだろう、特別な気がするからかな。他の言葉にはない特別なパワー。

別に恋愛じゃなくて、
「そのお菓子わたしも好きなんだよね!」
でもいいし、
「その色、きりん(私)絶対好きでしょう?」
でもいい。

なんかいいのだ。
「好き」の交換こも。
すべてをハッピーな雰囲気にしてくれる感じ。(もちろん、押しつけでなければね。)

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人生に「好き」を持つピークがあるとすれば、わたしにとってそれは小学校1年生~2年生の頃だったと思う。

あの色が好きとか、あのキャラクターが好きとか、自分にとっての「特別」を持ちたがってた気がする。
もちろん人に対しても。周りにいる誰もが特別で、とても好きだった。たぶん幼稚園にはない規模の交友関係が広がっていて、楽しくて、舞い上がっていたのだと思う。
おまけに当時「あずきちゃん」というTVアニメがあっていて、よく内容は覚えていないけど「好き」があふれたアニメで、その影響もあったはず。
クラスの中でも「あの子とあの子は、ユウノスケ君とあずきちゃんみたいだね」みたいなのがあったような、わたしが勝手に思っていただけのような。

そんなだから、「好き」がいろんなことを丸くおさめ解決する魔法の言葉と思っていた節がある。

当時の担任の先生に聞いた話がある。
その頃、毎日のように問題を起こすクラスメイトがいて、その日も帰りの会で先生ともめていた。おそらくやるべきことをやらないから、先生とその子の間で膠着状態が続いてたのだと思う。先生とその子は教壇付近にいて、みんなは着席して静かに様子を見守っていた。事態はなかなか進展を見せない。

そこへ、わたしは後ろの方の席から先生につかつかと歩み寄り、
「…「好き」って言ったらいいよ」
と先生に耳打ちしたらしいのだ。わたしはその子が先生とクラスメイトのAちゃんのことを特に好きだと思っていたので、先生がその子に「好き」とさえ言えば解決すると思ったのだ。
すっかり忘れ、卒業してずいぶん経って先生と再会した時にその話を聞いた。その出来事を知っていたらしい母も「そんなことがあった」と笑っていた。そんなばかな…と思ったけど、確かにそんなことがあった気がする、という気がした。

それくらいわたしにとって「好き」は特別だったし、当たり前だった。

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誰が誰のことを好きなのか、知ってどうなるわけでもないのにとても知りたかった。
それはどうやら「秘密」にするもののようで、「秘密」を交換するためには自分も同じ「秘密」を持たないといけない。誰がいいかな、誰だと、どんな理由だと納得してもらえるだろう――わたしの「好き」にはそんな不純物が混じっていた気がする。幼稚園から一緒だったとか、隣の席だからとか理由から入っていて、なんか全然ピュアじゃないのだ。
理由のない誰かの「好き」の方が、自分の「好き」よりずっとすてきだった。
今もそれは全然変わってないなと思う。

だから、恋愛話を聞くのも、恋愛ソングを聞くのも好きだ。やっぱり誰かが誰かを「好き」でいるというのはとても平和で幸せだと思う。

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時々思い余って、友人に「好き」とか「大切」だとか言うことを伝えたくなる。もう、あの時からずっと好きなんだよと。
なかなかチャンスはめぐってこないので、「これは今しかないかも!」と思う時がきたら、すかさず相手の懐にするっと潜り込めるようにスタンバイしている。
さすがにあの頃みたいに直球にはいかないけど、大事なんだ、あなたじゃないとだめなんだ的なことを遠回しに伝えると、たいてい喜んでもらえる。LINEでハートマークのスタンプを送り合えたら上出来だ。

今も、恋愛ソングを聞きながら、誰かに好きと言いたくてたまらない。みんなそれぞれ特別だから、誰でもいい。返事はいらない。ただ好きなんです、今も昔もこれからも。

 


斉藤和義 ずっと好きだった

「ずっと好きだったんだぜ」とか言ってみたい。

 

 

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