ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

ネットを漂うものが消えるとき

ジオシティーズサービス終了のお知らせ」というメールが届いていた。
あれが?と思い、思わずクリックした。

 

info-geocities.yahoo.co.jp

珍しく経緯なるものにも目を通したら思っていたのと違って、人間味あふれる説明だった。思い入れがあるわけでもないのに、少し切なくなる。 

長期にわたり更新されていないホームページについては、規約にのっとり削除することも可能でしたが、誰かが必要としているかもしれないページを削除するのは忍びなく、できるだけ残す方針を続けてきました。

 

ジオシティーズは、わたしが初めて「ホームページ」というものを作ったところだった。
ただ、どうしたのかが思い出せない。全部消したんだっけ、それともまだ残ってる?
URLなんて当然覚えていない。
試しにこれかなと思うキーワードで検索するけど、もちろん何も出てこない。

そうだ、現在も生きているヤフーIDは、ジオシティーズのために作ったはずだと思い至り、それでログインしてみることにした。
すると、なんとまだページが残っていた。

 

ページ自体は「移転します。数か月後に削除します。」というような文言だけが表示されていた。ログイン画面には当時使っていた階層がそのままに残っていた。ホーム画面にリンクを貼っていないだけで、どうやら他のページもネットの海底に沈んでいたらしい。

一番古い日付を見てみると、2005/01/01。
覚えている。当時わたしは暇を持て余していた。
いつ死ぬかもわからないのに(いたって健康だったが)、何も実現できていないことにイライラしていた。知りたいことはたくさんあったし、やりたいことも山のようにあったのに、田んぼと杉の木に囲まれた中学校も、今のようには情報があふれていなかったネットの世界も、それらを今みたいには叶えてくれなかった。
せめてもの抵抗として、教室の窓の前にそびえ立つカイヅカイブキをぼーっと眺めるしかなかった。

 

そんな時、突如ホームページを作るということを思い立った。その1,2年ほど前に我が家にも常時接続が導入され、ネットがだいぶ身近になった頃だった。

公開の日を元旦と決めて、暇さえあればこつこつとページを作成した。
有難いことに作成ソフトとHTML関連の本は自宅にあったので、それらを使いながら無料素材を探したり、デジカメを使って自分で素材を作ったりもした。
カイヅカイブキを眺める代わりに、授業中のノートやテストの問題用紙の裏に、載せたいことをせっせと書き出した。やったことのない新しいことにチャレンジする時間はとても楽しかった。
他のサービスでも同じだったと思うけど、ジオシティーズありがとう。

 

十数年ぶりに再会したテキストメインのサイトには、どうでもいいような、だけど今のわたしにはできないようなことがちょろちょろっと載っていた。

ペイントで描いたらしい、「Well come!」と書かれた熊の絵。
「ため息、たいくつ、何かに合わせること」が嫌いなこと。
家の廊下にダンゴムシが歩いていたので、つまんで外に捨てたこと。
クラスメイトの名前がなかなか覚えられないこと。
友だちが描いてくれた(今見ても)上手な絵。
缶コーヒーばかり飲んでいる男子中学生のこと(架空)。
もはや存在すらしないサイトへのリンク。

などなど。

 

忘れたわけじゃないけれど、思い出さなかったことばかりだ。

 

f:id:kirinno_miruyume:20181002190122j:plain
 
 

もうすっかり意味も価値もなくなったものに再会して、インターネットというデジタルの世界のすごさを思った。
デジタルデータは、時間が経っても劣化しない。
もちろんデザインが古くなったり、機能がしょぼく見えたりすることはあるけど、データが存在し、それを呼び起こせる限り、作成当時に公開されたそのままの姿を出現させることができる。
変わるのは自分自身やデータを取り巻く周囲の状況であって、もの(データ)そのものは何も変わらないのだ。ものすごいタイムカプセルだと思う。

作り手にとってのみ意味や価値のあったデータの多くは、ネットという海の奥底に埋もれている。埋もれたまま、来年の3月が来ればきれいに消えるのだろう。
誰かにとって意味や価値のあるデータは、これからも別の形で生き続けるかもしれない。

そう考えると、ネットというのは海というより宇宙だ。
誰かが考えたことや知識、お金儲けの思惑や攻防がひしめいていて、次々に生まれては埋もれていく。デバイスの変化によって、新たなサービスも登場する。テキストから静止画へ、静止画から動画へ。
その昔結構な規模だったサービスも、そうした変化や経済的な理由によってある日突然、一気に消えてしまう。ちまちまと少しずつ、ではなく、一気にどかんと。

まるで、超新星爆発みたいに。
古くて重い星は、大きな爆発を起こして消える。
消える時にまき散らされるガスは、また新しい星を作る。
軽い星は爆発しないでそのまま残り続けるらしい。そして、重い星はまたいずれ爆発し、新しい星を生み出す。
こうして、宇宙の星はどんどん増える一方なのだそうだ。

きっと今勢いのある色々なネットコンテンツも、10年後、20年後、一気に消えてしまう時が来るのだろう。
twitterfacebookinstagramyoutube、ひょっとしてGoogleも?
そして、今はまだ存在すらしない何かが生まれるのだ。
ジオシティーズの終了が超新星爆発ほどの威力を持つかはさておき、この先どういうものが生まれてくるのかは純粋に楽しみだ。

 

ちなみに、初めて作ったサイト名は「Auld Lang Syne」だった。「今はなつかしいその昔」。
当時はYoutubeもなかったので、「蛍の光」の原曲であるそれを聞いたことはなかったなと思い、ループ再生しながらこの記事を書いた。


Auld Lang Syne (with lyrics)

 すでに記憶の奥底にあったものが消えることになんの感慨もないけど、どんな気持ちで作ったのかを思い出せたことはとてもよかった。あの頃の退屈なわたしは今のネット環境を含むわたしが置かれた環境を羨ましく思うかなと思うと、ちょっと襟を正そうかなという気になったので。これは「超新星爆発」の恩恵かもしれない。

 

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

 

 読みかけだったこの本も、また続きを読んでみよう。