ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

「自分が原因」という希望

樹木希林さんが亡くなったというニュースを見て、『ペーパームービー』を本棚に探した。

樹木希林さんの出る作品はどれも好きで、希林さんが出ているのだから間違いないな、と映画を見ることもあった。
もう新しい作品を見られないのか(未公開のものを除いて)、と思うととても寂しい。
こういう時、死ぬというのは更新されなくなるということなのだな、と思う。

さて、なぜ『ペーパームービー』なのか。
この本は希林さんが書いた…というわけではなくて、娘の内田也哉子さんのエッセイ集。19歳の頃に書かれたエッセイが集められていて、内田也哉子さんの目を通して見た「母である希林さん」も登場する。
その内田也哉子さんの書いた希林さんが好きだったことを思い出した。

ペーパームービー (講談社文庫)
 

 

本の中の希林さんは、イメージに違わずさっぱりとしていて、潔い。也哉子さんに対しても娘ということ抜きに一人の人間と向き合っている感じ。自分の芯を周りのざわざわに揺り動かされない。

中でも印象に残っているのは、「自分が原因」というエッセイ。
也哉子さんは保育園から小学校まで、インターナショナルスクールに通っていたのだけど、日本の学校がどんな感じか体験してみたくなったそうだ。小学校6年生の6月にインターを卒業し、その後7月から近所の小学校に編入した。

ところがなんと、卒業したインターは無認可だったらしく、編入するならば1年生からという事実が発覚。普通なら「そこをなんとか」とお願いするところかもしれない。
が、母である希林さんは「そうですか。では、その様に致します」と言ってしまうのだ。かっこいい。(誠実さに免じて6年生に無事編入

こうして無事編入できたものの、これまでの生活と日本の学校のギャップは想像以上に大きかったそうだ。そんな也哉子さんに希林さんがかけた言葉が、
「自分に起こる大半のことは、自分に原因があるんだからね」
だったそうだ。

「自分に原因がある」
もし、何かにすごく悩んだり、苦しんだりしている時に、「それはあなたにも原因がある」と言われたらどうだろう。
それがどんな悩みであっても、たとえ100%自分以外の人間や環境が悪いと言い切れる状況だとしても、「自分に原因がある」ことを完全に否定しきれる状況というのは案外少ない。

あの時、あの場所にいなければ。
あの服装でなかったら。
それに関わったのが自分でなければ。
あんなこと、口にしなかったら。
この性別じゃなかったら。
年齢があと少し違ったら。

「もしxxxじゃなかったら」を考え出すときりがない。
「もし…」という方が正しいような気さえしてくる。
その「もし…」が自分にしかあり得ないもので、どうしたって変えることができないものだったら、自分を責めたくもなる。
この時の「自分が原因」というのは、「自分が悪い」のだと、すでに起きてしまったことを否定するのと同じだから。

でも、反対に「何もかも周りが悪い」と思い続けたら?
誰かや何かのせいにして、誰かや何かを憎むことも、「自分が原因」と思うのと同じくらい苦しい。

 

希林さんの言葉の意味は、少し違っていた。
「自分が変われば、周りも変わってくるの。だから相手に何かを求めるんじゃなくて、自分が変わる様に努力するの。わかる?」
也哉子さんは「いつだってやめていい」と言われながら、学校に通いとおした。

「自分に原因がある」は厳しいようだけど、希望が感じられることもあるのだ。
あなたなら変われる、あなたが変われるだけじゃなくて、あなたが変われば周りだって変えられる。あなたにはその力がある。
そこに、そんな気持ちが込められていたら。

「変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる平静さと、その違いを見極める賢さをお与えください」
といった感じの言葉があるけど、自分に変えられることはないか、どうしようもないことだと受け入れるしかないのか、そのどちらなのだろうと考えることができれば、
「自分に原因がある」
は自分にとっての希望になることもあるかもしれない。
使い方さえ誤らなければ。

「あなたが見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい」
と有名な人も言っていたし。

原因を誰かに押し付けたり、自分に無理矢理納得させたりすることはあってはいけないけど、もしその可能性を信じられる、信じたい時があれば、「自分が原因」と思うのも、そう悪いことではないのかもしれない。

 

 

ペーパームービー (講談社文庫)

ペーパームービー (講談社文庫)