ゾウになる夢を見る

ぴったりくる言葉をさがすためのブログ。日々考えたこと、好きなこと。映画や本の話もしたい。

伸びする生活

気づけば、ずいぶん縮こまっていた。
うまくいくような、いかないような、それでもなんとか現状維持しようともくろむ低空飛行。
こんなにも楽しくおもしろいものですよと伝えたいはずなのに、未来を語る文章までもテンプレのようにがちごちに固まってる。
これではだめだ、と思った。ちっとも楽しくもおもしろくも見えないや。

 きっと、底力が足りていない。
暑い夏をだましだましやり過ごし、気圧や気温のアップダウンも知らないふりしてごまかしていたら、気づけば這うように見えない何かを追いかける日々だった。
久々に風邪なんてひいて、一年に一回あるかないかのイベントごとを一週間で二つ三つ取り入れて、それでも「まだやれます」なんて顔をしようとしていた。無茶苦茶だ。

 

妹の置いていったヨガマットを勝手に譲り受けた。
それをころころ転がして開き、ヨガでもやってみようと動画を探した。
ゆったりリラックスできればと思っていたら、なにやら激しい。
いや、動きはほとんどないのだけど、姿勢をキープしようとするだけで、「そこにいたの?」と思うような箇所の筋肉がぷるぷる震える。動画のお姉さんは「力を抜いて」と言うけれど、わたしの脚はわたしの意思と無関係に小刻みに動いている。

 

思えば、力を抜くということが苦手だった。だった、というより現在進行形で。
大学時代、どうしても必修で体育をとらなくてはならなかったので、できるだけ激しくないものを、とヨガ・ピラティスのような名称のクラスを選んだ。(これが意外にハードだったことを、今回すっかり忘れていた。)
柔軟性は絶望的というほどではないのだけど、なんせ力が抜けない。
授業の最後には必ず屍のポーズ(ただ仰向けで寝る)でリラクゼーション・タイムがあったけど、あちこちで寝息が聞こえてくる中で、ひとりがちがちに凝り固まっていた。
半年間続けたけれど、寝息をたてる域に行くどころか、結局力は少しも抜けずじまいだった。

今回はとにかく無理なく続けてみようと、がんばらないで楽だなと思うポイントを探ることにした。動画の中のお姉さんのようにいくはずもないのだから、大事そうな感覚だけ押さえていく。

背骨を長く長くまっすぐな一本にするように。
手の先から地面へ空気を送るように。
身体の隅々まで、新鮮な空気を行き渡らせて。

ただ伸びをする、たったそれだけで、眠っていた細胞がむくむくと膨らみ出した気がした。
あぁ、自分ってここまでが自分だったのだな、というような、なんとも不思議な発見があった。
頭ばかり働かせて、身体のことは気にかけているようで全然だったのだ。

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ただ足を伸ばして座って、かかとをぐっと押し出す。お腹を膨らませてたり、へこませたりして内臓をマッサージするような気持ちでいる。
たったそれだけのことで、あれだけ冷え切っていたはずの足が、指先までぴりぴりと温かい。
血液なのか、温かいものが身体の真ん中から外側へ流れていくような感じがする。

普通通り立ち上がってみると、身体の中に新しい感覚が入り込んだみたいだった。
自分の脚なのに、何か別のものを入れて立っているような感じ。
頼りなかった背中も、気持ちしゃんとしている気がする。

 

なんとなく、色々なことをうまくやろう、今度こそうまくやろうと思いすぎていた。
その気もちは何かを「どうだ!」とやってみせるエネルギーに昇華するまでには至らなくて、逆に気持ちから小さく小さくまとまろうという方向に向かわせた。
気持ちが先なのか、身体が先なのか、とにかく体の方も気持ちにそうように小さく小さく丸まっていた。気づけばそれが当たり前になっていて、丸まったままがちがちになってしまっていた。

これじゃ、だめだ。
思い切り伸びをした時の感覚をすっかり忘れていた。
気持ちよく、何かがすうっと出ていって、別の何かがさーっと駆け下りてくる感じ。
伸びをしなきゃ。意識的に。大きく息を吸って。
気持ちよく、がちがちをぶち壊して、どこまでも伸びていく気持ちで。

毎日続ければ何かが変わるかも。
伸びする生活を少し続けてみよう。